元号の決め方と歴史|西暦以外の年号があるのは日本だけ?

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2017年のこと、2019年1月1日に皇太子様が新天皇に即位し、同時に元号を改める検討に政府が入りました。平成30年の区切りのいいとこで天皇陛下の生前退位を実現させる感じだったんですね。

しかしその後、なんやかんやで新元号は2019年5月1日からとなりました。

その新元号は「令和(れいわ)」となりました。令和は248番目の元号となります。

令和以外に最終候補として、英弘(えいこう)、久化(きゅうか)、広至(こうし)、万和(ばんな)、万保(ばんぽう)の5つの案があったようです。

ちなみに当初、新元号は半年以上前には公表して開始は元旦からとし、出来るだけ国民生活への影響を少なくする方針だったのですが、実際は、公表は新元号となる5月1日の1ヶ月前の4月1日となりました。

結局、実現はしませんでしたが、新元号が元旦からということは、平成の最後の年となる平成30年と次の元号の元年が被らなかったってことです。この意味分かりますか?

単純な事なのですが、平成生まれの人は実体験が無いから分かり難いかもしれませんね。うちの子ども達も良く分かっていません。

それでは元号についての説明をいろいろ書いてみます。

目次

令和や平成、昭和などの元号の決め方

元号(げんごう)とは特定の年代に年を単位として付けられる称号で、君主の即位や事件などによりリセットされる有限のシステムです。

和暦に使われる平成や昭和などが元号になります。
年号ともいいますが、西暦なども年号と呼ぶ場合があるので、元号の方が範囲は狭いですね。

元号の決め方は元号法という法律で定められています。

1 元号は、政令で定める
2 元号は、皇位の継承があつた場合に限り改める。
たったこれだけの短い法律です。

第2項の〝皇位の継承があつた場合に限り改める〟とは一世一元の制といい、 元号を君主(皇帝、天皇、国王)の在位中には変えないという制度 です。

しかし、 明治よりも前の時代では元号は頻繁に改正 されていました。
それは何も天皇の継承が頻繁に行われていたからではなく、以下のような理由でも改正されていたからでした。

● 代始(だいはじめ)改元-天皇の交代によって
● 祥瑞(しょうずい)改元-吉事を理由として
● 災異(さいい)改元-凶事に際してその影響を断ち切るため
● 三革(さんかく)改元-三革を区切りとみなして
※三革とは革令(甲子の年)・革運(戊辰の年)・革命(辛酉の年)のことで、これらの年には異変が起こりやすいとされていた。それぞれ60年に1回訪れる。
ちなみに元号の改正のことを改元(かいげん)といいます。

何故、昔は一世一元では無かったかというと、そもそもそんな決まりはなかったからなんです。
現行の元号法が出来たのはつい最近の昭和54年のこと、そして皇位継承のあったときに限り年号を改めるとしたのは明治以降のことで、明治から大正、大正から昭和のときは、〝旧皇室典範〟の「天皇の地位を受け継いだとき改元を行う」という明治元年の一世一元制に従うという条項により、崩御した当日に改元されたのでした。
ですから明治45年は7月30日までで大正元年は7月30日から、大正15年は12月25日までで昭和元年は12月25日からと日が被ってきます。

元号法の第1項では〝元号は、政令で定める〟となっています。
政令とは、ここでは〝元号を改める政令〟で、昭和64年1月7日に出来たものです。
内容はこれだけ。

〝内閣は、元号法第1項の規定に基づき、この政令を制定する。〟
〝元号を平成に改める。〟
そして附則として〝 この政令は、公布の日の翌日から施行する 。〟

つまり元号は内閣が決めているんですね。

そして現行元号法が出来て初めて天皇が崩御した昭和64年1月7日にこの政令が制定され、この政令どおり元号は昭和から平成に改め、翌日の1月8日から施行されたので、1月8日から平成になったということです。

政府内では、12月中に崩御されるようなことがあった場合、その年は昭和のままという案もあったようです。この辺は、その時代に応じ、割りと自由に決められるように法律でがんじがらめにしていないのでしょう。

元号の歴史

既に元号の歴史について多少触れましたが、もう少しだけ掘り下げてみたいと思います。

日本に元号の始まりは〝大化(たいか)〟です。
歴史で〝大化の改新〟って習いませんでしたか?その大化です。
時代的には飛鳥時代で、 西暦645年が大化元年 になります。

そもそも元号は中国から来たものですが、現在の中国では元号を使っていません。
中国では、前漢の武帝が即位翌年(紀元前140年)を建元元年と定めたのが始まりとされています。

日本の元号の歴史は、当然中国ほど古くからはありませんが1300年以上にもなるので、時代の変換によって使われ方も様々です。
元号が出来た大化(645~650)から、白雉(650~654)、朱鳥(686)と改元しますが、朱鳥はわずか1年だけで、その後、大宝(701~704)までの15年ほどはいきなり元号のない期間が存在します。

そして、朝廷の権力が地に落ちていた江戸時代は元号も軽視され、庶民にとってはほとんど馴染みの無いものだったようです。

西暦以外の年号があるのは日本だけ?

西暦のように ある年を始点にし経過年と遡及年を数える無限のシステムを紀元といい 、和暦にように 君主の即位や事件などによってリセットされる有限のシステムを元号といいます 

紀元は原則として別の名前でリセットされる事が想定されていませんが、元号は本来、皇帝個人がその権威の象徴として、臣下に対して自分の望む年の呼び方を強制するという政治的な意味を強く持っています。

西暦以外の紀元の年号を使っている国は実はたくさんありますが、元号を使っている国はおそらく日本だけなのではないでしょうか。

以下に西暦以外の紀元の年号を使っている国を紹介しておきます。
西暦と併用している国もあれば、独自の年号だけを使っている国もあるでしょう。

■民国紀元-台湾
中華民国の建国である1912年が元年。
普段の生活、公文書等でも西暦よりこちらを多用。

■主体紀元-北朝鮮
金日成の生年である1912年が元年。
1997年9月9日に採用を宣言し、西暦と併用。
チュチェと読む。

■檀紀-韓国
建国当初の一時期、大韓民国臨時政府が樹立された1919年を元年とする大韓民国紀元を公用年号としていたが、その後李承晩政権時代には神話上最初の君主とされる檀君が即位した紀元前2333年を元年とする檀君紀元(檀紀)を採用。
西暦と併用している。

■仏滅紀元(仏暦)-タイ、カンボジア、ラオス、ミャンマー、スリランカ
タイ、カンボジア、ラオスでは釈迦入滅の翌年である西暦紀元前543年を仏暦元年としてるが、ミャンマー、スリランカでは釈迦入滅の年である紀元前544年を元年としているので1年の違いがある。

■インド国定暦-インド
西暦78年をインド国定暦0年としている。
元年でなく0年なのは、インドは紀年法などにおいても数えでなく満で年数を数えることが多いから。
インドには元来、様々な暦が存在し、サカ歴を元にしたインド太陽暦に基づいて制定した。
インド国定暦の他、国定暦、国民暦、ヒンドゥー暦などとも呼ばれる。

■ヒジュラ暦(イスラム暦)-イスラム教諸国
預言者ムハンマドがマッカからマディーナへ聖遷(ヒジュラ)したユリウス暦622年を〝ヒジュラの年〟と定めヒジュラ暦元年とした。
サウジアラビアなどでは公式の暦としている。

■イラン暦(ペルシャ暦)
ヒジュラの年である西暦622年を元年とすることからヒジュラ太陽暦とも呼ばれる。
ヒジュラ暦は太陰暦。

■チベット暦
西暦1027年から始まる60年間を第1ラプチュンと呼び、以後60年周期で次のラプチュンへと繋がる。
2017年は第17ラプチュンの31年目。

■ユダヤ紀元
ユダヤ教において神が世界を創世したとされる紀元前3761年を紀元とする紀年法。
西暦と日付は対応していない。

■皇紀-日本
日本書紀の記述をもとに制定された日本の紀年法。
神武天皇即位紀元といい、古事記や日本書紀で日本の初代天皇とされる神武天皇の即位である紀元前660年を明治に入り皇紀元年と制定した。
西暦2017年は皇紀2677年となる。
ちなみ太平洋戦争時の零式艦上戦闘機(ゼロ戦)は皇紀2600年に採用されたことから零式と名付けられた。

●こちらもご覧ください!役立ちます。
西暦和暦変換の簡単計算方法と早見表

まとめ

  • 2018年12月31日で平成が終了する可能性があったが、2019年4月30日での終了となった

  • 2019年5月1日からの新しい元号は「令和」。〝れいわ〟と読む
  • 元号とは、君主の即位や事件などによりリセットされる有限のシステム

  • 紀元とは、ある年を始点にし経過年と遡及年を数える無限のシステム

  • 元号の決め方は元号法という非常に短い法律で定められている

  • 元号法では「元号は、皇位の継承があつた場合に限り改める」としているくらいで、細部の取り決めは割りと自由

  • 明治より前は、いろんな理由で元号がちょくちょく変わっていた

  • 日本の元号の始まりは西暦645年の大化

  • 西暦以外の紀元の年号を使っている国はたくさんあるが、元号を使っている国は、現在ではおそらく日本だけ

  • 日本には皇紀という紀年法もある
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    コメント

    • 1月15日のサンデーモーニングで「明治よりも前の時代では、天皇の在位にかかわらず元号は頻繁に改正れていた」と聞いてびっくりしました。
      そこで ネット検索で当HPにたどり着き、説明を読んでたいへん勉強になりました。ありがとうございます。

      おせっかいながら、はじめにある記述「〝行為の継承があつた場合に限り改める〟とは一世一元の制といい」という部分の、
      「行為」とは「皇位」の間違いですね? 素晴らしいHPなので 念のために申し上げました 失礼します

      by shun 2017-01-15

      • >shunさん
        コメントとご指摘ありがとうございました。
        shunさんのおっしゃる通りの変換ミスです。
        早速、修正しておきました。

        by sanmon 2017-01-15

    • 早速のご返信 恐れ入ります
      失礼いたしました

      by shun 2017-01-15

    • >そして、朝廷の権力が地に落ちていた江戸時代は元号も軽視され、庶民にとってはほとんど馴染みの無いものだったようです。
      そんなことはありません。どうして嘘をつくのですか。
      庶民はそれ以外の暦を持っていなかったので、元号しかなかったし、西暦が使われるようになったのは戦後だけですよ。
      嘘をつかないでください。訂正してください。

      by 匿名 2017-01-22

      • >匿名さん
        西暦が使われていたと言っているわけではないですよ。
        今のように、ほとんどの人が元号による年数を把握している状況ではなかったのではないかということです。
        年数を数えるの手段は、何も元号と西暦だけではありませんからね。

        by sanmon 2017-01-23

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