とうとう早実のスーパー1年生清宮幸太郎の甲子園行きが決定しました!
0-6から8回に一気に8点を叩き出す大逆転で東海大菅生を8-6で倒し、早実は5年ぶり29度目の夏の甲子園出場です。
久々の超大物感漂う逸材の甲子園行きに、高校野球ファンならずとも期待が膨らむんじゃないでしょうか。
是非、甲子園で清宮旋風を巻き起こして欲しいものです。
それでは、そんな清宮くんの経歴を、誕生から現在まで辿っていきましょう。
目次
早実の怪物清宮幸太郎の経歴 誕生~野球の道へ
1999年(平成11年)5月25日東京に生まれる
父は有名な早大の元ラグビー選手で、早稲田大学ラグビー部の元監督で、現在トップリーグヤマハ発動機ジュビロの監督である清宮克幸氏
元々、父親譲りの恵まれた体格で、スポーツは野球の他、ラグビーや水泳などもしていていました。
ところが、まだ記憶に割と新しいあの甲子園での引き分け再試合決勝戦、ハンカチ王子こと斎藤佑樹投手有する早稲田実業と今や大リーガーの田中将大投手有する駒大苫小牧の試合を、まだ小学1年生の清宮少年が甲子園のアルプススタンドで見ていたらしいのですが、この試合に心を大きく揺さぶられたことによって、その後に野球一本に絞り、早実のユニフォームを着て甲子園に出場し日本一になることを夢見て本格的に野球にのめり込んでいったそうです。
※この試合は早実が4-3で勝利しました
このとき清宮少年が父、克幸さんに野球一本で行くことを告げて言われた言葉が、「野球で一番になれ、できなければラグビーをやれ」だったそうです。
自分自身で野球一本に絞ろうと決意したこと、それに対するこの父の言葉・・・
この頃から大物感抜群ですね ┐(´∀`)┌
東京北砂リトルと調布シニア時代
そして、実績・実力ともに申し分のナシの〝東京北砂リトル〟に入団し、13歳のときにはエースとしてアメリカで開催されたリトルリーグの世界選手権に出場し、2試合の登板、2勝0敗15奪三振、そして打者として5試合で12打数8安打の打率.667のホームラン3本という成績で東京北砂リトルを世界一に導きました。
ちなみに、このとき既に 中学1年生ながら183cm、93kg という超高校球の体格で、周りの同年代の少年達と並ぶと完全に大人と子供でした。
そして、この頃の球速は129km/h、この大会では大会史上最長飛距離の94メートル弾を放ち、大会の開催地アメリカでは和製ベーブ・ルースと呼ばれました。
そう言えば、風貌もベーブ・ルースに似ている感じがありますね。
リトル時代の通算本塁打は132本。しかし、これは本人がサインしたホームランボールの数で、実際にはもっと多いらしいです。
両翼70メートルの場外に飛んで、そのまま行方知れずのボールは数多くあり、132本の2倍とは言わないけど、それを合わせたら200本程と北砂リトルの関係者が証言しているとの話もあります。
その後、早実とも縁ある中学硬式の名門〝調布シニア〟に入団しますが、 中1の冬に腰を疲労骨折 してしまいます。
原因は、速すぎる自身のスイングスピードに、大きくともまだ成熟していない自身の体がついていけなかったようです。
それからは長期のドクターストップ。中3の春にはチームは全国大会出場しますが、まだこのときもなんとかベンチ入りするくらいの状況でした。
そして、最後の中3の夏で、やっと主力として全国大会に出場し、更には全国制覇を成し遂げました。
早実入学後 人気の秘密清宮語録と過去の大物達との比較
現在、16歳の高校1年生、春の大会からファーストを守り、4月18日の公式戦第3戦の通算13打席目で高校発ホームランを放ちました。
このとき、「記念すべき日かな。(高校で)80本くらい打ちたい」と、自らホームラン伝説の幕開けを宣言しています。
清宮が注目されるのは、この大物感漂う発言にもあるんです。
若干16歳でありながら、その物言いは実に堂々としていて、自分が 野球の道で1番になることを前提として 話しているように聞こえます。
ザッとあげてもこんな感じの発言がズラリ!
「曲がるやつですね」
高校初戦の春季都大会3回戦で決勝打を打った球種を報道陣に聞かれて
「これから、こういう環境でやっていかなきゃいけない人間だと思っている」
春季都大会4回戦で、テレビカメラに囲まれて
「本塁打を打った時は納得したけど、まだまだ満足しきれない。次は夏しかない。てっぺんを狙っていきたい」
春季都大会準々決勝で高校1号を放つも敗戦して
「気持ち良かった。打った瞬間、という感じ。記念すべき日かな」
春季都大会準々決勝で推定130メートルの高校1号を放って
「夏は6試合ですか?それなら6本は打ちたい。最低1試合1本です」
西東京大会での目標本塁打数を問われて
「甲子園で王さんが投げるのに、早実がいないのは失礼になる」
OBの王貞治氏が始球式を務める甲子園について
「自分はまだ『清宮ジュニア』。これから『清宮幸太郎』になって、いつか追い抜きたい」
ラグビー・ヤマハ発動機監督の父・克幸氏について
「すいません、こんなんで」
夏初安打をポテンヒットで記録して
「3連戦くらいなら、かかってこいって感じ」
3連戦の20日・日野戦に向けての抱負
「いつもなら捕れるのにおかしいです。次は捕ります」
一ゴロをはじくタイムリーエラーをして
「さすが、オールスターに出るだけありますね」
球宴で西武・秋山が放った本塁打について
「この展開は想定内だった。あせることなく、いつも通りの野球ができたから8点取れた。西東京大会では100%発揮できてない。甲子園で暴れてきたい」
西東京大会決勝戦で0-5から8回に一気に8点を取り大逆転で甲子園行きを決定して
まだまだおぼこい顔はしていますが、たいしたタマじゃありませんか?
ちなみに清宮くんは高校で80本くらい打ちたいと言っていましたが、高校で活躍し、その後プロ入りした主なスラッガーの高校通算本塁打等は以下のような感じです。
氏名 高校 現在 高校通算 高校入学 身長・体重
清原和博 PL学園 引退 64本 1983年 188cm 104kg
鈴木健 浦和学院 引退 83本 1986年 187cm 95kg
松井秀喜 星稜高校 引退 60本 1990年 188cm 95kg
中田翔 大阪桐蔭 日ハム 87本 2005年 183cm 100kg
大田泰示 東海大相模 巨人 65本 2006年 188cm 92kg
筒香嘉智 横浜高校 DeNA 69本 2007年 184cm 97kg
清宮くんの夏の甲子園大会予選の西東京大会の成績は、6戦全戦でヒットを打ち、20打数10安打10打点の7四死球で打率は.500、出塁率は.630となっています。
残念ながら夏の大会でのホームランは甲子園までお預けとなりましたが、そのヒットのほとんどが長打でした。
最後に清宮幸太郎の現在のデータです。
学年 高等部1年(16歳)
ポジション ファースト
打順 3番が定位置
背番号 3
投打 左投げ・左打ち
身長 184cm
体重 97kg
今後、清宮くんがどれだけのホームランを量産し、またどのように成長し、どのような選手になっていくのか非常に楽しみです。